時を待つということ

今の部署、完全に体が拒絶するレベルで馴染めなくなってます。
頭では「己の案を通すためには信頼を得ることが必要。そのためには、例えアホらしいと思うような事を言われてもコキ使われても、ここで踏ん張って妥協して時を待つのが得策」と解っているが膝を屈することができません。そういう意味では20代の頃の方が物分かりがよく、時を待つということが出来ていたな。

いや、でもちょっと待てよ。
20代の時に腹くくって時を待った結果、道が拓けたのは7年後だった。
仕事で発言権らしきものが得られて好きに出来たのが大体6年後。
「時を待っている間に20代を棒に振ったな」と後悔したのを今でも覚えている。

その経験から、時を待つというと聞こえはいいけど、時間を浪費して、何も手に入らなかったとしても未来の自分は後悔しないのか?時を待ったところで必ず結果がついてくるとは言えないのに待つ意味はあるのか?時間をもっと有意義に使うべきじゃ?と自問自答する自分がいる。

今、膝を折れないのは、無意味に時を待つことの虚しさを知ったからかもしれんな。そう考えると賢くはなってるのかもしれない