母の還暦祝いという名目で催された家族旅行をブッチして思い出したこと

母親の還暦祝いという名目の家族旅行をブッチした。自分は育つ最中に節目ごとに何度も祝ってもらっておきながら、たった1回しかない親の祝いの席にお前は出席できんのか薄情者が!!と言われています。薄情者と言われても、今のオペきちに母の還暦を祝う気持ちはありません。

断った理由としては母が事前に、この旅行を心から楽しめなくて無理矢理行かなきゃいけないと思って行くなら行かなくていい。たった一回の祝いの席で無理矢理行った感を出されても腹が立つから。と言っていたし、自分も彼女に悟られないような演技する自信ないから無理矢理行かされた感はでてしまうだろう。そうなると、たった1回の祝いの旅行に泥を塗ってしまう。装う母娘関係も多分限界きてるし、泥を塗ってしまうくらいならお言葉に甘えて行かないでおこうと決めたので、旅行をブッチしました。
そして今、修羅場な訳ですが、修羅場っていると母との記憶がよみがえります。自分用に、今頭のなかでくるくる回っている記憶を書き留めておこうと思います

オペきちから見た母

オペきちから見た母親は感情の起伏が激しく怒ると手をつけられない人で、幼い時は、言うことを聞かないと殺されるんじゃないかと言うくらいの恐怖を覚える人でした。(今は度を越えたヒステリーでお取り扱いが面倒な人)
本人にはそのつもりはないようですが、こうでなければいけないと考える自分の理想の家族・理想の娘像に無理矢理当てはめて「こうあるべし」という条件を言葉なき言葉で娘に求めるような人だなとオペきち自身は感じてます。
通達する条件は、明らかに利に叶っている場合を除いて、直接口に出して伝えることはありませんでした。条件はそれとなく誘導している普段の何気ない会話と「お母さんはこんな風に思う」というふわっとした意見で伝えられます。
その言葉なき言葉を無視し続けると、気が利かない思いやりに欠ける!それくらいわからないなんてなんて鈍くてどんくさい娘と罵られましたので、会話をしても彼女の言葉なき言葉に耳を傾けることに必死でした。

口に出す言葉は、娘の言い分に耳を傾ける母親が言いそうな「こっちの方がいいと思うけどあんたがそうしたいと思うならしなさい」という言い回しのものでしたが、自分の思うような決断を娘がするようになんとなく誘導するものに感じました。
自分も母と同じような方法で思いを伝えるようにしたところ、口に出さないと解らないと罵倒されました。
その理論が通るなら「口に出してないんだから無理に察する必要ないし、やりたいようにする」と考え、それを無視して折れずにいると(娘から見て)ヒステリックに怒り出し、それでも折れずに実行して、失敗したら「言うことを聞かなかったから」成功したら「あんた頑固だから。その頑固さには脱帽よ。たまたま成功したのね」と言うような人だったと記憶しています。

門限や友達の遊ぶ時間などは厳しく制限されました。それはいい。
きつかったのは、少しでも成績が落ちるとキレたときに「あんな友達と付き合っているから」と友達を全力で罵倒しました。成績が落ちるに従い、友達と遊ぶ許可がおりにくくなりました。外に遊びに行くときに嫌味たっぷりに送り出され、気持ちよくいってらっしゃいと送り出された記憶はありません。

時には友達と遊びに行く約束をして、事前に許可をもらっていても、その日近くに母を怒らせたら「遊びに行くことはいかん断れ外に出さん」とヒステリックに怒り、ドタキャンを強いてくることもありました。怖かったので断ったら次の日に「あら?遊びに行くんじゃなかったの?」と聞いてくることが2、3回ありました。
2、3回でも約束をドタキャンするのは嫌でした。でも親の性格を考えると、この親の娘であるかぎり、友達との遊びをドタキャンしなくてはならない可能性は常に付きまとうでしょう。
寂しくて仕方ない。親を説得してでも付き合いを継続したいという思いはありましたが、説得にかける時間とコストとストレスが膨大にかかり、その選択をとってしまうだけで、おそらく学生時代にしかできないであろう勉強や感性を磨くために必要な経験や知識を深めるチャンスと未来を棒に振ることになりそうだと判断し、友達付き合いをすることは諦めました。自分の自由に使える時間を、己の完成と知識を深めることに全て投資することにしたからです。
人付き合いのスキルは後から死ぬ気で数をこなしたら取り返せるが、思春期の柔らかい脳に叩き込めるだけの知識と柔軟な頭の回し方を覚えさえすれば、自分の頭の中には他人に奪えない形のない知識や感性が残る。回りにいるかどうかわからない「自分を助けてくれる人」より、己の決断次第で動くことが出来る知識や感性が未来の自分が今の自分が集めた武器を有効活用してくれる可能性の方が高いと感じたので、人間関係にかける時間を最小限にして気になる本や音楽、美術に触れるようにしました。

母から黙って提示される条件を達成すると、さらに厳しい条件を言葉なき言葉でつきつけてきました。厳しくなるのは家庭がうまくいっていなかったり姉との折り合いが悪くなってるときだったので、多分家庭がうまくいってないときに条件が厳しくなるのではと考えました。だから私は家族の誰かが喧嘩する度に怯えました。条件が達成できないと自分の好きに出来る時間が減るので、必死になって条件を達成してました。それが母から見たらいい娘に見えていたのかもしれません。

記憶はハッキリしませんが、母いわく、オペきちはおとなしいが扱いにくい娘だったそうです。頑固で肝心なときは言うことを聞かないとも言っていました。好きなようにすればいいがお前は変だ。頭さえよければいいってもんじゃない。思いやりがないとキレられたことも多々あります。そんな扱いにくいお前をそのまま受け入れてきたと言っていますが、キレたときは、あんたオカシイ世間からはみ出してると罵倒し続けてるという行動からオペきち自身はそのまま受け入れられたという認識はありません。

そんなことから、理想の条件は性格面を除き達成していたが母にとっては扱いにくい娘だったんだろうとこっちは思っています。ボタンのかけ違いという言葉ではすまされないほど拗れてるけど、関係を修復したいとも思っていない己のシンプルな気持ちと母のヒステリーぶりにどう折り合いをつけていこうか今考え中です。もう決裂しようかとは思ってますが、決裂という結論を彼女は納得せず思うようになるまでオペきちを罵倒し続けるんじゃないかと今思ってます