その生き方論を自分に当てはめる気はしない

どうも。泣くほど悔しいことがありました。
なんで悔しいと感じたのかは謎なのですが、未来の自分がいつかその理由を解き明かしてくれることを期待して、その悔しかったことを記録に残したいとおもいます。

悔しかったこと

人様からよく言われる「自分の身の丈を受け入れて、目標を高く設定しすぎず生きよ。さすれば楽になる」みたいな生き方理論をよく聞くのですがオペきちは自分自身にその生き方論を適用しようと思いません。てか適応したくてもできないんだよ綺麗事言うなよ。と思って悔し泣きしたという話。

自分にとって楽を選んだ時点で社会人として終わる

これ、オペきち個人の話ですが、オペきちは平均レベルより百倍物覚えが悪くかつ学習して習得速度が遅いです。
なので、自分が楽に達成できるレベルで物事を運ぶと人様のいう「平均レベル」に到達するのにベラボーな時間が必要になります。
限界まで背伸びするレベルで物事を運ばないと普通レベルに到達できないんで、楽をとる=普通レベルにいけない=ダメ社会人まっしぐら。身の丈を受け入れるからこそ、自分自身を認めようとは思わないし受け入れる気もしないという話。

そんな生き方辛くないか?という質問への答え

答え

しんどいし辛いに決まってんだろ

今まで出来なかったことが出来るようになったとして、少しは嬉しい気持ちがある。が、「周りは当たり前のように出来てたことを今さら出来るようになった自分」「しかもめっちゃ時間かかってる」「出来るようになったからといって状況は何も変わらない」というネガティブ面の方が見逃せないレベルで現実的にでかいから結果としてしんどさと辛さが勝つのは必然。よってしんどい生き方になるのはしかたないと思ってる。

それじゃ持たないよ?という質問への答え

しんどさと辛さが勝つ理由は自分が人並みにできないからであって、しんどさと辛さから脱したかったら努力すれば抜け出せるんだから気力振り絞って生きるのが状況を脱する唯一の選択肢。
だからしんどい生き方になるのは仕方ないよな。気力が事切れるか、きれる前に状況改善するかしかないから、持たなかったときは持たなかったときで仕方なく倒れようと思っている。
しかしながら、いつも倒れる寸前でなんとか踏ん張って「倒れた方が楽じゃん」という状況に陥ります。

「俺、レベル低くて平均レベルに到達してないけどこのままでいいです」という人が身近にいたとして

普通に仕事が出来る人からしたら「よくねーよ迷惑なんだよ!何開き直ってんだよ!ちったぁ努力しろよ(怒)」って皆さん普通思いますよね。
でも怒ってんのもしんどいから「あいつはあんなもんだから」って割りきるのが大人の対応だから、てきとーにそんな感じでやり過ごすのが大人の作法なんですよね。
かといって、出来ない奴が変にやる気だしても「ちっ!大人しくしてればいいものを」って本心では舌打ちするんですよね。
どう転んでもいい風にとられないって状況が「仕事が出来ないと周りから思われる」ってことという事実を踏まえると、大人的には「腹は立つけど、こんなもんだからと割り切って大人しくしてくれる方が仕事も増えないし楽だから、低位置のままじっとしてくれてた方が楽」なんだろうな。と勝手に推測してみる。

今の自分の進歩は認めつつ、平均レベルとの距離は常に把握するのが現実的

会社の出来ない認定は簡単に覆らないから、己と平均レベルの差を認識しつつ、「平均レベルに到達する」という『自分としては』高い目標をクリアするために、周りからしたら鼻で笑われるような低いレベルの目標を越えるのが一番確実な道なんだな。
「どんな目標でも出来たら『私すごいじゃん』って自分で自分を褒めたら楽になる」というが、オペきちは褒めれば褒めるほど現実逃避してる気分になって惨めになるんだな。。( ´-ω-)
嬉しい気持ちはあるし、前よりかは「自分頑張ったな」って思えるようにはなったけどねー。そういう意味では少し楽になったね。

そんなわけで、身の丈にあった自分を受け入れるのも、身の丈にあった目標を設定するのは賛成だか、やっぱり自分と世間一般の距離感や意見差は認識しておくべきと思うのよ。
どうしても無理なときは逃げたっていいんだからさ。目標との距離を認識しなくなった時点で人間成長しなくなるもんだとオペきちは個人的に思う。

そんな雑感