ぼっち考

おひとり様から始まって、ぼっち族、ぼっち充、一人でご飯を食べるぼっち席、、色んな形のぼっちがあるみたいですね。
ぼっちで活動する機会が多かったオペきちは、ぼっち活動がここまで取り上げられることに驚きです。驚きのあまり、今までの自分のぼっち活動を振り返りたくなったので、ぼっち歴の振り返りと、その経験から感じたことを書こうと思います

ぼっち活動のきっかけ

きっかけは、門限がアホみたいに厳しかったこと。
通常は親を説得して遊びたいと思うのだろうが、オペきちは「ご近所でも評判のややこしい性格をした親を説得する手間を考えたら、限られた時間でやりたいことをやる方が効率的」「我が家のアホみたいに厳しい門限ルールに付き合わせるのは申し訳ない」と考えていたので、幼いときから積極的に友達をつくろうとせず、ぼっちで活動することが多くなりました。

ぼっち活動中に言われたこと

ざっくり分けると「人の目を気にせず堂々とぼっち行動できるのが羨ましい」「寂しくないのか」「ちょっと変じゃない?」というのが多かった。
額面通りにとると大したことない言葉ですが、よりニュアンスが伝わりやすいように書き換えると、下のようになります。

「人の目を気にせず、堂々とぼっち行動できるのが羨ましい(私は人の目を気にしてできない。鉄の精神ね)

「寂しくないのか(一人行動できるような人だから変わった人なんだろうな)

「ちょっと変じゃない?(友達いなくても平気なんて問題あるんじゃない?)


そうなんです、世間の目はやはり厳しいのです。門限厳しかろうが、説得してでも友達と遊びたいって思うのが若人だろ?と当時は思われていたようで
満場一致でややこしい親ってことを考慮しても、「親を説得すんの面倒くさい」という理由で友達作りを放棄するその行動がわからんとは言われてました。

ぼっちという生き方はリスキーだ

消極的選択とはいえ、ぼっち充を目指す方向の生き方を選択した時点で、世間の白い目と戦わなければいけないことになりました。

今の世の中、ひとりでいることで要らん喧嘩を吹っ掛けられることもあるでしょう。
人付き合いの煩わしさはないですが、ぼっちという立場は目立つので、いっぺん目をつけられると再起不能になるまで叩き潰されるかもしれません。
なんだかんだいって、ぼっちという生き方はリスキーな生き方だと思います。
叩かれず、目をつけられずにぼっち行動をとれる華麗なるぼっちへの道は厳しいです。

ぼっちでも魅力的。と肯定的に捉えられているであろう人の自伝なんか読んでいると、ぼっち活動のきっかけを客観的に認識できてるような気がするのよね。
一人平気。とか、変な意地や無駄な劣等感に苛まれることなく生きてるから
「あの人面白いよね。いいよね」と回りが肯定的にぼっち活動を見守っていてくれてる気がするのよ。

だから「俺はぼっちがいいから」と触れ回っていたり「たまには一人になりたくて」と横目で回りの反応をチラチラ伺いながら、ぼっち活動をしているうちは、華麗なるぼっちにはなれなさそうです。

そんなわけで、ぼっち活動のリスクと魅力をしっかり認識した上で、今後のぼっち活動をより充実したものにしたいと思います。