経験は経験にすぎない

最近、心に引っ掛かった言葉「行を終え行を捨てよ」は、この方のお言葉です。

人生生涯小僧のこころ

人生生涯小僧のこころ

この方は往復48キロの山道を千日歩く荒行、千日回峰行や9日間飲まず食わず眠らず横にならない四無行など、かなりの荒行をやりとげたお坊さんです。
(先日のスイッチで探検家の角幡唯介さんと対談は興味深く見ました。)

こんなに激しい荒行をやりとげた後、支障に言われた言葉が「行を終え行を捨てよ」です。
行をやりとげたから、これから良いことが起こるわけでもない。困っていることが解決するわけでもなければご利益がある訳じゃない。
事をやり遂げて得た心の平安と、ちょっとだけついた自信と徳がおまけ程度につくくらいだ。
行から学んだこと、悟ったことを生活の中で生かすことで、はじめて経験は生きる。ということを言っていらっしゃった。

どう言った場合であれ、献身的に人には優しくせねばならない。と盲目的に信じていいように使われていた子供時代、
「この痛みを感じた経験は、私の糧になる。優しくなれる。修行だと思って耐えろ。いつか報われる。誰かが見ていてくれる」と何度も心の中で唱えていた。
ちゃんちゃらおかしいけど、気分は山伏だったのかもしれない。

が、現実は報われない。誰もが足元を見てより自分を都合のいいようにこき使い、抵抗したら、あの手この手で潰されてきたような気はする。
悔しい思いをする度に、報われることを夢見て耐えた自分は「辛い経験」を必要以上に神聖視してたのかもしれない。とこの言葉を聞いて気がつくことかできた。

辛い経験を克服すればするほど伸びる。強くなれる。先に行ける。いいように使われなくなって個人として尊重してくれる対等な関係を築くことができる。と盲目的に信じていた。
辛い経験を克服するために努力したからといって人生が劇的に良くなるかといえば、そんなことは絶対にない。
そもそも、克服のために努力したからといって、すぐにその努力が報われるなんて保証もない。

辛い、悲しいに関わらす経験が自分に与える影響って、自分か思ってるほど大したこと無いんだよな。
報われることを期待して踏ん張ったあと、その事実に気づくべきだった。
そしたら、こんなことになるまえにさっさと逃げることが出来たのに。

辛い経験そのものは、意外と大した影響はない。取り方の違いでどうにでもなる。と思ったら、少し心が軽くなった。