寛解。という言葉の重み

こんにちは。オペきちです。
発達障害への対策として、3ヶ月ほど通っていた病院への通院を止めました。
理由は下の記事の通り。

さよならフロイトヽ(´ー` )ノ - (´-`).。oO(今更、そんなこと言われてもね、、、)

心や精神の問題において、治療が終わるのは「根治(私の中では症状がさっぱりなくなる。という意味で解釈)」でなく「寛解(私の中では、上手くお付き合いするための落とし所を見つける。という解釈)」という言い方をするらしい。
初め通いだしたときは、知識としては理解していたけれど、心のどこかでは「そうは言っても、自分はきっと治る、克服する」と思っていた。

きっかけはよく解らないけど、最近その考えが、なんとなく違うな。と思うようになった。
ある意味、心の動きに対して目をつぶって生きてきたから、今の不安定な状況があるわけで、気持ちを無視された心が逆ギレした結果、今の大混乱状態があるんだと思うんだ。
「頭で心は8割方くらい制御できる」と奢って生きてきた自分へのしっぺ返しをくらったのが今。

こんなすごいしっぺ返しくらっても懲りずに「また暫くしたら治るから。克服できるから」と思って生きるのは、なんか違うんじゃないかな「根治」を目指すのは思い上がりじゃないかな。と考えたときに、寛解という言葉の意味が、頭じゃなく心の中にスッと入ってきた。