己が捨てたものを拾いにいきます

とにかく争い事が嫌いだったので、争いのもとになりそうな言動はしないように心がけていた。
気弱だが、自分が間違っていないと思っていたら曲げない性格だった。
なので、本人の思いとは裏腹に、喧嘩はよく吹っ掛けられた。しかし、相手にしないから喧嘩にならず、向こうが諦めて去る。という対人トラブルを繰り返していた学生時代だった。

好き嫌いの感覚が、人よりかなりずれていたので「わかる」と言われるより「なぜ」と聞かれることが多いと気づいてから、自己主張は滅多なことがない限りしなくなった。
「回りと感覚がずれる」ということは、回りと言い争いをする機会も増える。ということは、争いに巻き込まれる確率もあがるということ。

その時「あー、自分の素の感覚は間違っている」と思い、努力しても「いじめられない」レベルが精一杯で、「学校に溶け込めない」己が嫌で嫌で仕方なかった。
だから、自分の好き嫌いよりも、回りに対して無難な主張が出来るように努力した。己の素の感覚で生きることを、私は捨てて生きていた。

結果、己が本当はどう思っているのか自分でもよく解らないが「少なくとも、自分はそんな風に考えていないことは解る」と思うことを、さも自分が心からそう思ってるかのように言う、行動する。というややこしいことをしていた。

治療内容から推測するに、発達障害とお付き合いする第一歩は「己の素の感覚と周りの感覚のズレ」を認識することだ。

己の素の感覚を否定し続けた結果、自分がどう思ってるのか解らなくなっている今の状況で治療を進めるためには、
まずどこかに置いてきた自分の素の感覚を拾って組み立てて、もう一回認識しなくちゃいけない。
自分の感覚がわからない以上、他人との距離感はわからないからだ。

そんなわけで、今、己の捨てたものを拾う旅に出てます。(*・∀・*)ノ